初期研修医

佐藤 ももか (東京大学医学部附属病院)
佐藤ももか 佐藤 ももか
東京大学医学部附属病院
令和3年3月1日~令和3年3月31日
(平戸市民病院)

 2年間の初期研修が終わろうとしている最後の1ヶ月に、平戸市民病院で研修させていただきました。
 東京を離れ、初めて平戸市民病院に向かう道中、バスの中でグーグルマップの現在位置が本土の最西端にあるのを見て、「こんなところまでたった一人で来てしまったのか」とほんの少し不安になりました。しかし、となりのトトロに出てきそうな森、山、田園と、崖の上のポニョに出てきそうな海を眺めながら、こんな素敵な所で1ヶ月生活できるというたくさんの好奇心が沸き上がり、不安は期待に変わりました。
 初日のカンファレンスでは「マダニに噛まれた」「魚骨がS状結腸に詰まり穿孔した」「田んぼを歩いていたら3メートルの高さから頭から落ちた」など、初めて聞く現病歴に早速カルチャーショックを受けました。
 一番印象に残ったのは訪問診療です。自宅に伺うことで家の様子やベッド脇にある家族の写真などを見て、実際に患者さんがどんな生活を送ってきたのか、どんな方々と暮らしているか、何を大切にしてきたのかなど様々な情報を一度に知ることができました。それをもとに一番適切な介入をしていました。「病気をもった患者さん」ではなく、その背景には必ず生活、家族があるという当たり前のことを常に忘れないでいようと、訪問診療の道中の根獅子浜や猪渡谷からの絶景に感動しながら心に誓いました。
 「平戸こそ日本の医療の最先端」。初めてこの言葉を聞いたとき、「最西端」と聞き間違えたかと思いましたが、間違いなく「最先端」であることを実感した1ヶ月でした。というのも、平戸市は日本の中でも、高齢化率が高く「20年先取りした医療」を展開しています。押淵院長をはじめとして平戸市が、保険制度確立前から先見の明をもって全国より一足先に対策をとってきた医療体制は、もう目の前まで来ている高齢社会、超高齢社会で今後医療をする私たちにとってロールモデルになることは必至だからです。一方で、地域医療を支える医師の高齢化も進んでいる。地域に根差した医療、介護との結びつき、多職種連携の必要性と難しさも学びました。
 外来では、まさに総合医としての能力が主に求められていました。専門の科にとらわれずなんでも見ているオールマイティーな先生方には日々脱帽の連続でした。ある日、中桶先生の外来で私が診察させていただき、カルテ記載をしていました。患者さんが身支度している間、中桶先生と患者さんが、「今年も田植えをするの?何反?」「8反するよ」という会話をしていました。患者さんが退出した後、カルテを書き終えていた私に中桶先生が、「先生、カルテに8反って書いておいてね。この人が来年4反って言ったらそれがADL低下の指標になるからね」とおっしゃっていました。病気ではなく、患者さん、背景の生活環境までみるとはこのことなのだろう、と思いました。
 平戸市民病院での研修は大変勉強になりましたし医師として視野が広がりました。また、先生方に平戸のおいしいものを食べさせて頂いたり、同期とドライブをしたりと、研修・休日ともに大満足な日々を過ごさせて頂きました。この1ヶ月で学んだこと、考えさせられたことを忘れることなく、今後も精進してまいります。
 最後になりますが、このような充実した地域研修をさせてくださった平戸市民病院のスタッフの皆様、長崎大学病院へき地病院再生支援・教育機構の方々、素敵な同期の2人、そして患者さんとご家族に、厚く感謝を申し上げます。満開の慈眼桜を贐に、皆様の今後ますますのご発展とご健康をお祈りして感謝の言葉を締めくくらせていただきます。