初期研修医

村岡 達哉 (横浜市立市民病院)
村岡達哉 村岡 達哉
横浜市立大学附属病院
平成30年6月4日~平成30年6月29日
(平戸市民病院)

 「あるこ~あるこ~わたしはげんき~」あれ、ここはジブリの世界?
 博多で借りたおんぼろの軽自動車に揺られ、気が付くと私はこの歌を口ずさんでいました。木々が織りなす自然のトンネルに、コバルトブルーに広がる鮮やかな海、夜空に流れる幾千の星たち。物語の中に入ったような錯覚さえ覚えました。しかし、日々の生活を送る中で、物語のような綺麗な世界だけではないということを思い知らされます。
 平戸市はおおよそ3万人が暮らす町で、昭和52年に平戸大橋が架かるまで離島でした。さらには高齢者(65歳以上)の割合が37.30%という超高齢化社会。道路にはイノシシが闊歩し、山道を歩けば大きなムカデが行く手を塞ぎます。あたりに街灯はなく便利なお店もありません。研修医として医療の現場にたった時にはダニ咬症やアニサキスなど大学病院ではとても経験できないような症例を数多く目の当たりにしました。そして、それと同時に別の”何か”、大学病院では感じたことのない違和感を覚えました。
 平戸市民病院の研修は基本的に午前と午後に分けられ、様々な地域医療に携わることができます。その一環として外来を見学していたある日、2人連れの患者さんが多いことに気が付きました。あるときは、夫婦でそれぞれが診察を受けており、あるときは遠方にいるご家族と受診され、あるときは入所している施設の方が連れ添い、またあるときは連れ添って来たのはご近所さんでした。症状がいつからどのようであったか、ご近所さんの方が詳しいほどです。また訪問診療に出掛けた時には、同行していた看護師が、患者さんのご家族やご近所関係まで把握されていました。定期的に開かれている救急医療懇話会では、平戸市内の救急隊と各病院のスタッフが集まり、対応の難しかった症例を検討し、今後に活きるよう話し合われていました。平戸に住むおおよそ3万人の人々と、医療を支える人々との”繋がり”がそこにありました。
 これから数十年すると日本全体が超高齢化社会を迎えます。そのときに日本を支える医療体制はまさに平戸の医療に近しいものになるでしょう。そしてそれを迎え入れるのは私たち若い世代の医師たちであると思います。その中の1人として平戸市民病院で研修できたことは今後の自分にとって大変大きな収穫となりました。お世話になった病院関係の方々、市職員の方々、そのほか研修に携わった方々、本当にありがとうございました。残された数少ない研修がさらに有意義なものとなるよう邁進いたします。